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鶴見北地域の沿革
◆ 鶴見町は大昔、下の辻村といわれていました。 後白河天皇の御守、江州(現在の滋賀県)辻村の百姓17人、人夫を率いてこられ開拓されたといわれています。また この村は石山本願寺の強い地盤でもあり、一寺一村のよくまとまった村で、昔から団結が強かったようです。
◆ 鶴見北地域は、戦後「土地区画整理事業」が完成するまでは、稲作中心の のどかな田園地帯が広がる地区で、農家は今の鶴見南地区が住居でした。
大正14年大阪市に編入され、地名は鶴見町に変わりました。
◆ 昭和26年、農業生産の向上と農業経営の改善する目的で「鶴見土地改良区」が設立され、その後昭和33年 将来のまちづくりも兼ねた国策の「土地改良法」に基づく「土地区画整理事業」に取り組み、人が通れるあぜ道程度の道しかなかった田園地帯に、車も通れる広い道路を縦横に通して 昭和59年に事業を完成させ、今日の近代都市(住宅・商業・工業地帯)へと発展しました。
◆ 昭和49年 鶴見町は城東区から 新しく分区された鶴見区に属することになりました。
◆ 平成4年4月1日「鶴見社会福祉協議会」「鶴見連合地域振興町会」より分離独立して「鶴見北社会福祉協議会」「鶴見北連合地域振興町会」を、平成25年5月21日「鶴見北地域活動協議会」を設立し今日に至っています
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